理想咬合とは
許容範囲(変異、変動)を認めない Angleの正常咬合は、ある一点に集約された、連続性のない正常像と考えられ、それは、同時に一つの理想咬合とみなすことができる。
一般に、理想とは、理想であって現実ではないことはよく知られている。しかし、理想を高くすることはゴールや目標の到達地点を上げることになり、また、向上心を高めることにもなる。正常咬合においても同じことが言える。Hellman などの正常咬合の概念や機能的な側面を考慮した理想咬合は、Angle の理想咬合よりも高い理想像となり得るが、その反面、現実には存在しない形而上の理想咬合になる可能性も否定できない。
一方、正常咬合として理論的に詳述でき、まれであるが現実に存在し、かつ技術的にもそのような咬合にすることができるような理想咬合の存在も認めざるを得ない。そして、そのような理想咬合を選出し、模型、セファロなどの分析結果からその集団の平均値(Mean)、標準偏差(±1SD)などを求め、理想咬合に一定の許容範囲(変異、変動)を設け、正常咬合として捉え、Mean から外れている状態を不正咬合とし、Mean に近づけることを治療目標とするような診断法が行われてきた。疾患志向型診断法である。科学的で、理論的な診断プロセスとみなされ、1980年代ごろまで世界中で実施されてきた診断法と言える。
このように許容範囲を認めない正常咬合(理想咬合)と許容範囲の存在する正常咬合の2つの概念が共存し、その中で正常咬合が論じられ、また矯正臨床が行われてきたと考えられる。実体のはっきりしない正常咬合の概念が正常咬合そのものを分かり難くしているだけでなく、矯正治療自体を難解にしてきたと言える。すなわち、歯並びが良い、悪い、治療をした方がよい、あるいは治療をしなくてもよい、更に、治った、治らない、などの見解の違いは、判断基準である正常咬合の捉え方によるところが大きい。矯正歯科医のみならず、一般歯科医、患者によって、それぞれ正常咬合の捉え方が異なるために同じ目線で問題点が捉えられていないために混乱を招いていると言える。正常咬合のもつ曖昧さである。
4) 正常咬合を理想咬合とする考え
20世紀後半になると従来型の診断法である疾患医師志向型診断から問題志向型診断(POS) へとパラダイムシフトする傾向が一層強まったことは前述した通りである。
問題志向型診断では、一人ひとりの患者の問題点から具体的な治療ゴール、治療目標を明示し、優先順位から具体的な解決方法を示すことに力点が置かれている。そのためには漏れなく問題点を探し出し、プロブレムリストを作成することが大前提である。問題発掘の方法の詳細は、後述するが、問題を発掘する際に、評価基準となる比較対照モデルが大きな意味をもつ。評価基準が厳しければ厳しい程、すべての問題点を漏らすことなく、的確に探し出し、指摘することができる。したがって、評価基準を曖味な正常咬合とするのではなく、正常咬合を「理想的な咬合、あるいは理想咬合」として捉える方が論理的で臨床的である。
Moyers は著書の中で「正常」と「理想」を同意語として使用し、混乱を招いているとし、正常咬合の概念を十分に理解すれば、正常吸合は、理想的な変合という表現の方が相応しいとしている。また、Lundstrは、咬合を Ideal occlusion (理想咬合)、Good occlusion(良好な咬合)、Malocclusion(不正咬合)に分け、理想咬合はほとんど存在しないが、この概念は文献的な正常咬合を意味するとし、Normalocclusionを用いずに、Ideal occlusion を用いている。
これらから問題点を探し出すためには、正常咬合を理想合として捉え、矯正歯科医自身の理想咬合を掲げ、それを比較対照モデルのひとつとするのが妥当と考える。
そして、それは、Angleの3つの要件を満たし、かつ顔貌に関する審美性、セファロ分析からもたらされるノーム、成長発育能の有無、加齢に伴う口腔環境の変化、顎運動機能障害の有無、歯周状態、患者の協力度、なども含めた上での理想的な咬合としている。また、歯列・咬合は、遺伝および口腔環境(呼吸、話し方、摂食、嚥下、などの口腔機能や歯科治療など)の影響を受けやすく、その口腔環境は加齢と共に変化し、矯正治療によって改善されたとしてもそれが一生を通じて変化しないということはない。しかもその変化様相を長期的に予測することも困難である。したがって、理想咬合は、動的矯正治療後の長期保定処置や保定後の歯列の変化を含めて考える必要があると考えている
日本橋人形町ジェム矯正歯科